tsshare’s diary

日々思ったことをあれやこれや・・・・・・・

「小池劇場 百合子でございます」  ~ 小池さんは僕たちを騙したのだろうか?

 

盛大なファンファーレと共に「小池劇場」は始まったが、いざ開演の時を迎えると観客はまばらで、空席が目立っていた。ステージの上では、唯一主演の「小池百合子」氏が「百合子でございます」を連呼し、時々微笑みながら「ラブコールを頂いちゃったの」と姿を創るのを見せられては、残った観客も次々と席を立って行った。演目が終わると、劇場は散々たる有様であった。f:id:tsshare:20171027153614j:plain

 

 

「小池劇場」が閉幕すると、今度は幕の裏側で、小池百合子と愉快な仲間たちがどんどんちゃんちゃん騒ぎ始めた。この騒ぎは、劇場コメンテーターを始めとしたマスコミも黙ってはいず、主演が傲慢すぎて酷かったとか、あるいは「愉快な仲間たち」はどうしようもないとか散々におもちゃにし始めた。

 

ところで、「小池劇場」に集まった観客はどうして、演目が始まる前に席を立ったのだろうか。

 

この理由はそれほど難しく考える必要はないだろう。単に、この舞台はひどすぎる、見ても時間の無駄だと言う事が解ったからだろう。

 

それ以上に、今回の騒動で最も考えるべきは、「どうして、僕たちは小池劇場にあれほど期待を寄せたのだろう」と言う事である。

 

小池さんは今回の衆院選に臨むにあたって、「百合子でございます」の一言で手を挙げたのである。彼女自身、誰もが期待を寄せるような未来像や政策を掲げていたわけではない。まさに「百合子でございます」のこの一言に勝負を賭けたのであり、多くの有権者もそしてマスコミもその一言に乗っかったんである。

 

そう考えれば、小池さんは初めから終わりまである意味首尾一貫していたと思う。

ユリノミクス」や「ベーシックインカム」などを掲げはしていたが、そんなものを信じて「小池劇場」を応援したものはいないだろう。

 

今でこそ、マスコミは先頭に立って小池さんを叩いているが、あの「小池劇場」が始まった時は、次期首相候補の可能性や与党を目指すなら定員の過半数以上の候補者が必要だとかを真剣に報じていたではないか。

小池さんや希望の党民進党の議員を批判するなら、あの時に何を根拠にして小池さんを次期首相候補などと言ったのか、その点も説明すべきだろう。

 

 

小池さんの「百合子でございます」の一点張りに、僕たち有権者もどういうわけか乗ってしまったが、流石にその一点だけで日本の政治を任すのは問題だと僕たちは気づいたのだろう。

 

小池百合子の愉快な仲間たち」はやすやすと、小池さんの踏み絵に応じてしまったが、僕たち有権者はそれほど間抜けではなかったと言う事だろう。

 

どうして「小池劇場」の熱狂に簡単に乗ってしまったのか、それぞれ反省すべきである。今回は途中で気が付いたが、あのまま行っていたらどうなっていたか考えるべきである。

 

 

「排除 さらさら」発言が、流れを止め、あれが無ければ選挙結果は変わっていた、などという発言を良く耳にするが、これは有権者を馬鹿にした発言であろう。