tsshare’s diary

日々思ったことをあれやこれや・・・・・・・

日馬富士傷害事件を相撲協会側の立場で考える

今回の日馬富士傷害事件を、相撲協会の立場で考えてみる。

 

もし、貴乃花親方が相撲協会の主張するように警察に被害届を提出せずに、協会へ報告していたらどうなっていたのだろうか。

 

報告を受けた協会は以下のような判断を下したのではないだろうか。

 

 

日ごろから言動に問題があった貴ノ岩を、白鵬日馬富士の両横綱は、同郷の後輩力士でもあるため、礼儀・礼節の必要性を説いていた。その途中で、貴ノ岩は掛かって来たスマートホンを取り出し操作を始めたため、日馬富士はその行為を非難した。しかし、貴ノ岩は自ら弁解するばかりで、反省するどころかさらに反抗的な態度をとった。

この態度に激昂した日馬富士貴ノ岩を数発殴りつけた。

 

相撲協会の判断は、手を上げてしまった日馬富士も決して良くはないが、横綱である日馬富士が礼儀・礼節を説いている最中に貴ノ岩がスマートホンをいじりだし、さらには反省するどころか横綱日馬富士に反抗的な態度を取ったことはまことに遺憾である。

本来であれば、貴ノ岩の態度が力士としての品格を欠く行為であり処罰を受けるものと判断すべきであるが、酒宴の席であった事、またいくら貴ノ岩の態度が非礼なものであったとしても、手を挙げた横綱も反省すべき点はある。これらの点を考慮して両者に処分を下すことも必要であるとの考えもある。

しかし、横綱日馬富士及び貴ノ岩の両者は、翌日共に握手を交わし和解したとの事実も確認しているので、今回の件については双方不問に付す。

 

また、貴ノ岩九州場所の欠場について一言述べておく。

貴乃花親方より、貴ノ岩のけがの具合の診断書が提出されているが、内容は全治2週間程度である事、また診断した医師より九州場所への参加は十分可能であった事、さらに騒動があった翌日、貴ノ岩は巡業に参加していることを鑑みても、この度の騒動と貴ノ岩九州場所の欠場の因果関係は認められない。

 

これは勿論、たらればの推論であるが、こう判断した可能性は十分に想像される。貴乃花親方が警察へ被害届を提出せずに相撲協会へ報告していたら、今回の騒動は起こっていなかっただろう。つまり、日馬富士が引退する事もなければ、八角理事長や伊勢ケ浜親方、さらに同席していた白鵬鶴竜の処分もなかっただろう。相撲史に汚点を残すことはなかったのである。

 

相撲協会はこの騒動の原因は、日馬富士の傷害事件にあるのではなく貴乃花親方の被害届提出にあると考えていると思う。被害届の提出がなければ、そもそも傷害事件そのものが無かったのである。

相撲協会としては、騒動の原因である貴乃花親方は決して許すことはできないであろう。

 

少しモデルは異なるが、以下のたとえ話に似ている部分もある。

 

「会社Aは違法行為を行う事で利益を上げていた。それを知った社員Bは内部通報を行った。その結果、会社Aが行っていた違法行為は公となり処分が下された。会社Aは社会的な信頼を失い業績が悪化した。その為、100名を超える社員が解雇され、多くの家族が路頭に迷った」

 

上記のたとえ話で、最も悪いのは違法行為をしていた会社Aにある事は明白であるが、組織に従事していた者には社員Bの行為は直ちに受け入れられないのではないだろうか。

今回の日馬富士の騒動も組織の一員としての保身のような考え方も働いていると思う。

 

今回の騒動が一つの決着を見たとしても、横審を始め相撲協会全体は貴乃花親方に不審の念を持ち続けるだろう。相撲協会にとって貴乃花親方はまさに獅子身中の虫である。当然、貴乃花親方は迫害されるだろうし、親方が想う理想の相撲協会が実現する事は無いだろう。

 

伝統の名のもと昨日と同じ今日、今日と同じ明日を望む協会にとって、相撲の中にある「かわいがり(暴力)」や「星の貸し借り(ガチンコ相撲)」あるいは「横綱の品格」などの問題を公にし議論あるいは改革する事は迷惑以外の何物でもない。

協会にとってはグレーゾーンをも認めた(あるいは決して触れることの無い)現在の相撲が「伝統ある相撲」であろう。

 

最も大きな問題は、貴乃花親方が警察に届けを出した場合は、日馬富士の引退以下5人の処分者を出しながら、もし警察への被害届が無く相撲協会主導で処分が下された場合、誰も処分者がいないかもしれないという極端な状況が起こりうることである。

このような状況では、今後何かが起こっても親方衆は自分では判断せず全て協会へ報告し、協会はまた、その事実を明るみにしようとはしないだろう。

あるいは、親方衆が事実を握りつぶすことが暗黙の裡に奨励されるかもしれない。

 

そこで筆者はこう考える。

相撲協会は勿論反対するであろうが、今回の騒動は横審等とは異なる第三者が介入して詳細を検討・確認しその結果を日本国民に報告すべきである。と同時に、スポーツとしての、あるいは格闘技としての相撲という国技について国民全体で考えるスタートとなることが望まれる。